2009年10月22日木曜日

親の心、子知らず

私の高校の監督は、サッカーの名門大でキャプテンを勤めたことも
ある人だった。
私が中学のときから、その監督の名前は知られていて、
いい指導をしてくれると評判だった。
高校入って実際会ってみると、非常に怖い。
練習でも、監督がいるときといないときでは、緊張感がまるで違った。
しかし、指導は的確。
スピードがなかった私に、練習前、もも上げをさせた。
きつかったが、毎日やって足も以前より数段速くなった。
あまり、戦術的なことは教わらなかったが、練習の中に1つテーマ
を絞って取り組ませていた。
ハーフコートを使っての8対8のパス回しは、ボールを持っていない
ときの動きをテーマとしていた。
「動くことによって、そのスペースが空く。そのスペースを
他のだれかが入ってパスをもらえ」
という指示だった。
この練習によって、自分がボールを持っていないときにどう動くか
の判断がつき、試合でもそれが戦術となった。
現在のフットサルでもその練習が生きている。
しかし、その監督も就任して3年くらいのため、チームも
勝ったり負けたりだった。
高校1年のとき、春の合宿で静岡遠征を行った。
4泊5日だったか、その5日で10試合を行うという日程だった。
その初日の夜、旅館の部屋で私と先輩2人は高校生ということもあり
テンションもあがっていて消灯時間が過ぎても電気をつけていた。
確か、空気ボールみたいので1対1のバレー対決をやって
盛り上がっていた。
「アターック!」と叫んでいるときに
監督が入ってきた。
監督は「廊下に出ろ。」と言った。
3人、正座をさせられてしばらく沈黙。
殴られるかと思ったが殴られる以上に痛い言葉がきた。
「弱いところの監督はなあ。頭下げなきゃ試合組んで
もらえないんだよ!」
「俺は今、ビールを飲んでる。飲んでるけど
間違ったことは言っていないと思う。」
後から思うと「飲んどんのかい!」という突っ込みを
入れたくなるが、そのときは怖さと監督の想いの重みで
ただうなだれるだけだった。

選手であるうちは、監督にどんな苦労があって、
練習を作ったり、試合を組んだりすることはわからない。
しかし、この一喝で監督の想いを感じるようになり、
練習の取り組み方も変わったと思う。

今はもう、全く会う機会がないが監督のおかげで
大学までサッカーがやれたと思うし、社会に出ても
精神的なところで支えになっていると思うので、
本当に感謝している。


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