2009年10月20日火曜日

マイスーパースター

私が高校3年生のとき、とてもおいしいアルバイトをしていた。
近くの競技場で、日本リーグ(Jリーグの前身)の試合がたまに
行われていた。
その試合の準備を数人の大人(地元の人)と
高校生2人(自分と友人)で行った。
試合が始まる前に、真ん中上段にある、記録席に入った。
そこで友人と2人で任されたのが、記録係である。
記録用紙には、先発選手のリストがあり、
項目にシュートとか、交代とかあった。
どちらのチームを記録するか決めて、担当したチームのどの選手が
シュートを打ったか、そのシュートが決まったら丸をつけるとか
そのような仕事だった。
大好きなサッカーが見れて、しかも、おいしいお弁当もついて、
3000円ももらえた。
日産の試合(レナト、木村和司、水沼、金田、柱谷哲、
松橋等が活躍中)や、本田技研(メシアス、北沢)、
東芝の試合など見れたので、
ほんとうにたまにだが、楽しみでしかたなかった。
ある日、高校ユース大会の1回戦がその競技場であり、記録の仕事を
することになった。
2試合あって、1試合目は徳島商とどこかのユースチーム、2試合目は
清水商とどこかのユースチーム(確か交野FCとか)だった。
その2試合目。
清水商の試合を生で始めて見た。
見ていくにつれ、一人の選手に釘付けになった。
その選手は、正確なロングキックを何度も繰り返し、
ここしかないというスルーパスも何度も繰り返し、
ドリブルも相手の動きをみながらターンをし、
3人くらいに囲まれても、ヒールショットのような技でボールを
相手の頭上くらい浮かせて、かわしたりしていた。
まさに、異次元の選手だった。
背番号7だった思う。
その番号から、記録用紙を見て名前を見たら、「名波浩」とあった。
この名前は絶対覚えておこうと思った。

そのときから、引退までずっと名波を見てきた。
順天堂大で新人王を取ったというニュースで喜んだりしていた。
しかし、その後、大学のタイトルをとることもなかったため、
消えていくのかなと思ったら、ジュビロに入り、日本代表にも
入り、素晴らしい活躍を見せてくれた。
今は解説者として活躍している姿を見ると、自分もがんばらねばと思う。
同世代にずっと活躍してくれるスーパースターがいるということは、
本当にありがたいことだ。

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